歌舞伎の舞台名所を歩く

  十二社 熊野神社
『怪談乳房榎』


 (1)

『怪談乳房榎』の四幕目第二場は「十二社大滝の場」です。「十二社」と書いて「じゅうにそう」と読みます。

本舞台正面大瀧、上手岩組、下手同じく岩組、途中に葦簀をかけし空茶屋。その上に社殿。折々に松の立木。花道すっぽんを坂道のこゝろにて、よろしくこしらえること。すべて角筈村十二社大瀧、夕暮れの体。

 ト山おろしにて幕あくと、バタバタになり小平、花道より出て、坂道を通り、本舞台へ出て、向こうをすかし見て思入れ、葦簀の中へ身をひそめる。あと、瀧の音、はげしくきこゆ。鐘の音。花道より正介、抱き子を抱え、着物を背負い出来り


正介 あゝ、お利巧な坊ちゃまだ、すっかりあきらめたと見えて、ちっともお泣きなさらねえ。もうすっかりと暗くなったが、あの瀧の音はもう十二社だ。

ト坂道を通り、本舞台へ来て、着がえの上に泣かせる。合方になり、

正介 なァ坊ちゃま、よく聞いてくらっせえ。あの磯貝が坊ちゃまに、後で敵とならわれるのが怖(おっか)ねえから、此の瀧壺へ入れなけりやァ、俺(おら)を殺すとぬかすのだが、どうして俺に坊ちゃまが殺せるものか。こゝへ捨てゝおけば、あの権現様へお参りする人の眼について、拾ってくれべえ。どうで俺はもう柳島へは帰られねえ。俺はこゝから姿をくらまし、練馬の赤塚に頼るところがあるだから、そこでかくれているだ。坊ちゃまは、これが一生のお別れだ。許して下せえ。この通りだ。

                    (中略)

あゝ、情けねえこんだなぁ(トひざまづいて社殿を拝み)南無十二社権現様、どうか坊ちゃまが、いゝ人に拾われますように。

(『国立劇場 第51回歌舞伎公演上演台本』133-36頁より)

 正介は、赤子を置いて行きかけますが、やはりそのままにしておくわけにはいかず、行きつ戻りつします。そこへ小平が現れ、子どもを奪って匕首であわや一突という時に、瀧壺から重信の姿が現れ助けます。小平は仰天して瀧壺へ落ちてしまうのを見た正介は、子供を抱いて花道を急ぎ去るのでした。

ここは正介と小平が早変わりで見せます。本水を使うのも見どころです。


(パンフレット「新宿ミニ博物館 十二社熊野神社の文化財」より)


(2)

十二社熊野神社は現存します。残念ながら滝はもうありませんが。




東京メトロ丸の内線「西新宿」駅で下車します。六丁目のところで左に行った方が早いのですが、十二社通りを通って行くことにして、真っすぐ進みます。



駅を出て間もなく、右手に成子天神社がありますし、



十二社通りに入りと、



途中に伏見稲荷大明神が見えます。



大通りの交差点のところに来ますが、



さらに真っすぐ行くと、「十二社池の下」のバス停があります。






左に十二社熊所神社への坂道がありますので、ここから境内に入ります。





鳥居の手前には、



十二社碑と説明板がたっています。





鳥居のまえで一礼して、本殿で手を合わせます。









本殿の右手に行くと、境内社があり、太田南畝寄進の鉢が残されています。

















ゆっくり見て、来た方へ戻り、





通りに出て進むと、「十二社池の上」のバス停があります。「十二社池」の名がついたバス停が二つ、広重の浮世絵を見ても、かなり大きな池だったようです。




この左手には広い新宿中央公園があります。



公園に入り、来た方に少し行くと、「写真工業発祥地記念碑」があり、更に進むと、こちらにも熊野神社の入口があります。参拝してきたばかりですが、入ってみます。







左手前の社務所には神社では必ずあるものが見えます。



入った門から出て、十二社熊野神社を後にします。

ずっと歩いて、この辺りが『怪談乳房榎』の舞台になった場所であることを十二分に感じながら…、そして大好きだった実川延若が早変わりをみせた舞台を思い出しながら…。



 
(広重「名所江戸百景 角筈熊野十二社)


 (3)

『怪談乳房榎』の昭和47(1972)年9月、国立劇場の舞台については、「南蔵院」をご覧いただくこととして、ここではこの場の配役のみを記しておきます。

菱川重信・下男正介・道づれ小平が3代目実川延若、おせきが4代目中村雀右衛門、そして磯貝浪江が17代目市村羽左衛門でした。

また「大詰 練馬赤塚村乳房榎の場」については「怪談乳房榎記念碑 (松月院)」をご覧ください。



お読みいただきありがとうございました。

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(2018(平成30)年11月24日) 
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