歌舞伎の舞台名所を歩く

  南座の顔見世


 (1)

演劇評論家だった戸板康二さんは多くの著書を残しましたが、その中に「歳時記」と名のつく本が3冊 『歌舞伎歳時記』(知性社, 昭和33年)、『舞台歳時記』(東京美術, 昭和42年)、『劇場歳時記』(読売新聞社, 昭和45年)あります。この三冊は今でも座右において愛読していますが、そのどの本にも京の顔見世のことが書かれています。

最初の一冊は「顔見世」全般について詳しく書かれていますが南座の箇所のみを、残りの2冊は、全文を引きます。


 1 顔見世

現在「顔見世」というと、東京でも一応ポスターに「顔見世大歌舞伎」とうたうが、行事として守られ、それゆえに季題としてみとめられているのは、京都南座で行われる十二月興行に決まつている。

明治以後の慣習で、東京大阪の名優が一座して豪華な番組が組まれた。竹矢来に、まねき看板、底冷えのする京都の町の人が、年に一度のたのしみにしていたこの芝居に集つて来る景色が、今の季節感である。

   顔見世は幟の上の東山   鹿郎

というのは、南座のある四条のあたりの景色である。

吉右衛門が京都の顔見世に出た時の句に

   北山の雪見て今日の楽屋入
   冬霧や四条を渡る楽屋入
   顔見世の打上げの日もしぐれつつ

がある。着ぶくれて、町をゆく播磨屋の姿が目に見えて来るようである。(『歌舞伎歳時記』(15556頁) 


 2 京の顔見世

顔見世月といえば正しくは十一月だが、明治三十九年以降の年中行事として、京都南座の顔見世興行が、十二月に行われる。京都の市民は、ほかの月に芝居を見ない人でも、くれの顔見世は欠かさない。

今では葵祭や祇園会と同じくらい、日本中が知っている、京の季題である。

四条大橋のほとりにある南座には、十一月の末に、俳優の連盟が、庵(いおり)看板で、ずらりと掲示される。俗に「まねき」と呼ばれる。顔見世のまねきがあがると、師走だなと、みんなが思うのである。この興行は、次の年の顔見世だから、翌年の十二支を書く。昭和四十一年のそれは、「当る未歳(ひつじどし)」としてあった。

ぼくも、戦後、顔見世を見に、五回ほど京都に行った。寒い日もあるが、十二月中旬、ぽかぽかと暖い、文字どおりの小春日和という日もある。そいう日に、歌右衛門の部屋に用事があって行っていたら、多賀之丞が、お茶をたてて持って来たりしていた。

初代吉右衛門には、京の顔見世の句がある。

   冬霧や四条を渡る楽屋入
   顔見世の打上げの日もしぐれつつ

また水原秋櫻子に、いい句がある。

   顔見世や櫓の月も十五日



 (『舞台歳時記』288-89頁)


3 顔見世

京都の十二月は寒いが、四条大橋界隈の一角には、春めいたさんざめきがある。春の香りがある。いうまでもなく、この橋のたもとの南座に、顔見世の芝居があいているからである。

顔見世独特の劇場内外のかざりつけは、こういう年中行事が、お祭りだという事実を無言のうちに語っている。

もともと芸能の世界の吉例なるものは、すべて年に一度であることから考えても、お祭りと考えてさしつかえない。

そういう中で、京の顔見世は、観客が、前年それが終わるともう次の年のそれを待つという気持ちに移るほどの、大きな意味を持つ、市民と直結した芝居の行事である。

むかしは、毎年十一月に、新しく編成された一座が、それぞれの劇場に勢揃いして、その座組を披露するのが顔見世であった。そして、この月の興行の成功は、向こう一年の運命さえ決定したのだ。だからこそ、顔見世狂言の世界定めが、ものものしく、慎重に行われもしたのである。

京都の十二月の顔見世は、明治以降にはじまる行事らしいが、すぐ近くの大阪にはあっても、京都では、東西の俳優の大合同で行なわれるのは、やはりこの歳末の月だけであり、その意味で、年に一度まれなる興行として、価値高く町の人たちに受け入れられたわけであろう。

東京も十一月興行を、吉例にならって顔見世と呼ぶが、希少価値の点では、京の顔見世に到底およばない。

ぼくは顔見世の南座を数回見に行っている。旅先では、東京では自分に課しているタブーをわざと破って、楽屋に遊びに行ったりする。その南座の窓から東山が見え、時にはチラチラと小さな雪が舞っている。この風情こそ、京の顔見世にのみある、えがたい眺めである。

いつぞや、吉右衛門と京都で会った。吉右衛門には顔見世の句がいくつもあるが、その時見た播磨屋の着ぶくれた姿の記憶もまた、ぼくには顔見世と切りはなすことができない。(39.12)

 (『劇場歳時記』 238頁)


(2)

南座は2018年の11月に再開場しました。この劇場の歴史と、新南座についてです。




   (南座12月公演ちらしより)


南座の顔見世は例年12月と決まっていますが、2018年だけは11・12のふた月にわたり、11月は、「南座発祥四百年 南座新開場記念」と銘うった、松本幸四郎改め二代目松本白鸚、市川染五郎改め十代目松本幸四郎、松本金太郎改め八代目市川染五郎襲名の披露興行でした。特別な顔見世として記憶されるに違いありません。




 南座 ちらし


 

 まねき


 絵看板 「口上」


 絵看板 『対面』


 絵看板 歌舞伎十八番『毛抜』


そして伝統の12月の顔見世です。




 南座 ちらし
   

南座の座席表と客席の等級です。(『演劇界』2018年12月号より)




 
【参照】
  「南座」⇒ こちら
  「阿国歌舞伎発祥地の碑と出雲の阿国像」⇒ こちら

 「歌舞伎の舞台名所を歩くHOME
(2018(平成30)年11月26日)
 
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