歌舞伎の舞台名所を歩く

  阿国歌舞伎発祥地の碑と出雲の阿国像
(京都市東山区)


 (1)

出雲の阿国が四条河原で念仏踊りを披露したのが歌舞伎発祥とされています。その地に記念碑が建っています。




京阪電車「祇園四条」駅で下車するとすぐですが、葵祭を見たこの日(2018年5月15日)は、ちょっと寄り道をしてから、四条大橋を渡って行ってみます。橋の向こうのテントを被っている建物は南座です。



この壁にはポスターと「お知らせ」が貼られています。



「お知らせ」には、

   南座は、歌舞伎発祥の地にて、元和年間以来の四百年の永きにわたる伝統
   を受け継ぐ日本最古の歴史を持つ劇場です。国の登録有形文化財、京都市の
   歴史的意匠建造物である昭和四年に建築された現在の建物に対し耐震補強
   と劇場設備全般の更新工事を併せた大規模改修工事を進めています。

   当改修工事の竣工は今秋を予定し、本年十一月、十二月の二カ月にわたる
   京の年中行事 吉例顔見世興行 より、新しい南座を皆様にお披露目させてい
   ただく予定でございます。工事期間中今しばらくご不便をお掛け致しますが、
   何卒皆々様の温かいご理解を賜りますよう、そして、新たな南座にご期待い
   ただき、末永いご愛顧ご後援を賜りますようお願い申し上げます。 南座 敬白

とあります。

11月の顔見世は、「南座発祥四百年 南座新開場記念」と銘うった、松本幸四郎改め二代目松本白鸚、市川染五郎改め十代目松本幸四郎、松本金太郎改め八代目市川染五郎襲名披露と決まっています。


 南座顔見世チラシ


ポスターの南座には、顔見世月にのみあがるまねきが見られますが、何度見ても何とも良いものです。東京にはないだけになおさらです。





 〔◆関連で「南座の顔見世」もごらんください〕


工事のテントが無いと、こちら側の南座はこんな表情をしています。右下に小さく石碑が見えます。



これが「阿國歌舞伎発祥の地」の石碑で、



左の説明板にはこう記されています。



   

 (2)
   
先ほどは四条大橋の右側を通りましたが、左側を通って渡りきると、すぐ左に見えるのが出雲の阿国の像です。



左の説明板です。



阿国は刀を左肩にかけ、右手に扇を広げて踊っている姿をしています。



この下にある説明です。




出雲の阿国について、事典の一部を写します。

  歌舞伎の始祖とされる安土桃山時代の女性芸能者。

お国の出自や経歴については、確実な資料がまったくない。巷説では出雲大社の巫女とされているが、地方から京に上った歩き巫女の一人であったとする説や、洛北出雲路河原の時宗鉦打聖の娘との説もある。

江戸時代を通してさまざまに伝えられてきたお国伝説の集大成ともいうべき『出雲阿国伝』によれば、お国は出雲大社杵築の鍛冶職中村三右衛門の娘で、永禄(1558-70)のころ出雲大社修復勧進のために諸国を巡回したところ、容貌美麗で神楽舞に妙を得ていたので評判となり、京に上って歌舞伎踊を考案し、織田信長や豊臣秀吉、越前中納言秀康などに召し出されて寵愛されたということになっている。
(『日本架空伝承人名事典』(平凡社, 1986年))


  「阿国歌舞伎草紙」念仏踊の段 桃山時代 大和文華館蔵 (絵葉書より)

(3)

有吉佐和子の小説『出雲の阿国』は舞台化されて、昭和45(1970)年7月に歌舞伎座で上演されました。お国を演じたのは水谷八重子。その後前進座や文学座も舞台にかけました。


平成15(2003)年には歌舞伎発祥400年を記念していろいろな阿国物が取り上げられましたが、東京の歌舞伎座では、中村福助と尾上菊之助による『出雲の阿国』で初春公演の幕が切って落とされました。

8月には京都・四条河原の能舞台風の特設舞台で「阿国かぶき」が上演されたこと、また南座でミュージカル『阿国』(鈴木聡作・栗山民也演出、木の実ナナ主演)が絶賛されたことも特筆すべきでしょう。

(阿国は、勿論出雲でも色々な形で顕彰されていますが、それは稿を改めて…)


またこの年には記念切手も発行され、東京では記念展が開催されました。



 



関連で「出雲に阿国を訪ねて」(所縁の地の一覧を含む)もどうぞご覧ください。

お読みいただきありがとうございました。

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(2018(平成30)年6月17日)
 
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