歌舞伎の舞台名所を歩く

  源通寺 黙阿弥墓所
中野区


河竹黙阿弥の墓所は源通寺にあります。東京メトロ東西線「落合」駅で下車して、早稲田通りを7・8分歩きます。



真宗大谷派のお寺です。



入って右にあるのは「古聖會舘」、その隣が本堂。




山号は「金臺山」



本堂の左手に黙阿弥の墓所の案内があります。



墓所の入口、すぐ右に「源通寺沿革」の石碑がみえます。





◆黙阿弥の墓地はこの反対側、入口のすぐ手前にあります。



このお墓については黙阿弥の曾孫で、演劇学者だった河竹登志夫(1924年 - 2013)の碑文に記されています。






「二世河竹新七事 河竹黙阿彌」とありますが、明治14(1881)年『島鵆月白浪』(しまちどり つきのしらなみ)を一世一代として引退を発表し、黙阿弥を名乗ったのでした。

黙阿弥が2代目を襲名したのは天保14(1843)年、初代河竹新七(1746-95)は「主として初世中村仲蔵のために世話物や浄瑠璃所作事を書いたが、経歴は明らかでない」(『歌舞伎事典』)そうです。








『青砥稿花紅彩画』『三人吉三廓初買』『蔦紅葉宇都谷峠』『都鳥廓白浪』『黒手組曲輪達引』などなど、数多くの名作を残してくれたことに感謝し、源通寺を後にします。

次もご覧ください。
 「河竹黙阿弥を歩く
 「しのぶ塚・きょうげん塚」(百花園)
   


ご覧いただきありがとうございました。

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(2019年6月8日撮影)
 
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