歌舞伎の舞台名所を歩く

  猿若町


「猿若町」  歌舞伎ファンには特別な響きを持っているように思われます。

「猿若町」については、後で出てきますので、事典の最後の記述のみを引きます。

幕末から近代へという政治的・社会的変動の中における劇場街として、〈猿若町時代〉と呼ばれる一時期を形成し、演劇史上に重要な位置を占めている。
(『歌舞伎事典』平凡社, 1990)



 初代歌川広重「東都名所 猿若町芝居」 嘉永3(1850)年頃 国立劇場蔵
 (『江戸の華 歌舞伎絵展』図録(東武美術館, 1999)133頁より)
 

猿若町と江戸三座の記念碑があることを知り、マップで場所を見て、行ってみます。




東京メトロ銀座線(東武スカイツリー線でも同じ)「浅草」駅で下車、松屋デパートを右に見て、馬道通りを進みます。右に台東区民会館、左手奥に見える二天門を過ぎると、言問通りと交差します。ここで右に曲がります。



すると言問橋の手前に、「旧浅草猿若町」の碑があるのに気がつきます。




下に説明板があります。



この左手に「猿若煎餅」があるのは一興です。



次の左の通り一帯が猿若町で、台東区のあちこちで目にする「旧町名由来案内」があります。






この通りは広重の浮世絵を思い起こさせます。


 歌川広重「名所江戸百景 猿わか町よるの景」


少し行くと通りの右に石碑が見えますが、「猿若町」の石碑です。




 
一丁目には中村座がありました。左下にその碑が見えます。





   
歌舞伎座、2005年3月「猿若祭」での定式幕

今ここで芝居町を連想させるのは「藤波小道具」だけです。ここの何代目かの藤浪與兵衛さんは『歌舞伎の小道具 創意と伝承』という名著を著しました。




 
二丁目には市村座。




 
 国立劇場 定式幕

石碑も建っていて、右面には由来記が刻まれています。



市村座は明治25(1892)年に下谷二長町に移転しますが、旧二長町の市村座跡についてはこちらをご覧ください。


猿若町を横切る通りを過ぎると、三丁目にあった守田座の碑があります。 






 
歌舞伎座の定式幕
 
江戸三座、今は浮世絵で当時の賑わいを想像するしかありません。


               ♣


この日は三社祭の当日で、町内の神輿が出ています。



祭り囃子と、神輿をかつぐ威勢のいい掛け声、いつ聞いても良いものです。それを見る人たちの群れ、これが日本の祭りですね。



猿若町の紋は三猿を図案化したとのこと。



町名は変わってもここに住む人たちは、かつて「猿若町」と呼ばれた由緒ある町に住むことに誇りを感じ、一つになっているように思われました。



お読みいただきありがとうございました。

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(2018(平成30)年9月21日)
 
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