歌舞伎の舞台名所を歩く

  入谷鬼子母神
『雪暮夜入谷畦道』


 (1)

河竹黙阿弥の名作『天衣紛上野初花(くもにまごう うえののはつはな)』の四幕目、「入谷村蕎麦屋の場」と「大口屋寮の場」は、『雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべ いりやのあぜみち)』の外題で、たびたび独立して上演されます。

雪一色の入谷の田圃、お尋ね者の片岡直次郎が花道から、一歩一歩雪を踏みながら登場します。

蕎麦屋に入り、酒を飲み蕎麦を食べているところへ、吉原の大口寮へ行く途中の按摩の丈賀がやってきます。丈賀が食べ終えて蕎麦屋を出ると、直次郎は後を追って話しかけます。二人は顔見知りでした。

丈賀 もしお前さんゆえ三千歳さんは、後の月からぶらぶら煩い、出養生にこの入谷の寮へ来ておいでなさいます。
直次 そのことは、いま蕎麦屋で聞いた。
丈賀 あ、あそこにおいでなさいましたか。
直次 おらあお前の後ろにいた。
丈賀 後ろに目がないから、存じませなんだ。
直次 前にも目はないくせに、
丈賀 これはあやま針の療治、
直次 古い洒落をいうじゃねえか。
丈賀 所が恐れ入谷だからさ。
直次 いや冗談はさて置いて、お前(めえ)にちっと頼みがある。

(引用は『名作歌舞伎全集』第11巻、354頁~より)

そして三千歳への手紙を丈賀に託します。

すると時の鐘、雪おろしになり、上手より暗闇の丑松が登場して、…

別れ際は有名な割りぜりふ。

丑松 それじゃこれから兄貴にも、一年経って逢われるか、二年経って逢われるか、認めのつかねえ旅の空。
直次 明日を待たずに今夜のうち、この江戸の地を離れゝば、
丑松 長い別れになる二人、どこぞで一杯(ペい)やりてえが、
直次 町と違って入谷じゃあ、喰物見世は蕎麦屋ばかり、
丑松 天か玉子の抜きで呑むのも、しみったれたはなしだから。
直次 祝い延してこの儘に、別れて行くも降る雪より、
丑松 互いに積もる身の悪事に、
直次 氷柱のような槍にかゝるか、
丑松 襟に冷てえならい風、
直次 筑波おろしに行く先の、
丑松 見えぬ吹雪が天の助け、
直次 そんなら兄貴、
丑松 丑や、達者でいろよ。


名取春仙「十五代目市村羽左衛門 入谷の直侍」 〈山梨県立美術館蔵〉
(中山幹雄『歌舞伎絵の世界』(東京書籍, 1995)87頁より)


(2)

入谷と云えば、何といっても入谷鬼子母神。(朝顔市についてはこちらをどうぞ)



地下鉄日比谷線「入谷」駅下車、交差点を渡って5分ほど歩くと、鬼子母神に着きます。



法華宗眞源寺で、入口に説明板があります。






境内を左の方からぐるっと見て、





本堂で手を合わせます。



ここにはまた下谷七福神の福禄寿が祀られています。壁には近くの福神への地図があり親切です。ぼくも昔一二度回ったことがありますが、今でも正月には七福神巡りで多くの人が訪れることでしょう。



ここを出て少し進むと、道路の反対側によく知られた蕎麦屋さんが見え、嬉しくなります。入谷と蕎麦屋の組み合わせは生きています。直次郎と丈賀がそばを食べる場面が思い浮かびます。



   
(3)

『天衣紛上野初花』の初演は明治14(1881)年、新富座。黙阿弥の人気作の一つです。

国立劇場では昭和43(1968)年10月に、5幕11場の通し狂言として上演されました(第18回歌舞伎公演)。前半が河内山の件、最後の2幕が直次郎と三千歳の件でした。

しかし通して上演されることは稀で、各々が独立してたびたび上演されます。

(河内山については「練塀町」をご覧ください。)

入谷の「蕎麦屋の場」について、演劇評論家だった戸板康二はこう書いています。

  そばやはその生世話の味が第一。まずそばや夫婦に、場末のそばやの生活がにじみ、早じまいしようという雪の夜のわびしさが舞台一面に出なくてはいけない。雪をふんでくる頬冠りの直次郎、下駄の雪をおとしたり傘の雪をはらったり、雪の美しさが寒々とした直侍の身の上を象徴する、いい場面である。股火鉢をしたり、徳利の口をつまんで手酌をし、盃にうかんだごみを箸の先でとったりする。こまかい写実芸をふんだんにみせる見せ場である。
(『名作歌舞伎全集』第11巻、288-89頁)

 

「入谷そばやの場」(田中良 『歌舞伎定式舞台集』(大日本雄弁会講談社, 1958)より) 


次が「大口屋寮の場」、清元は「忍逢春雪解」、江戸情緒たっぷりの屈指の名曲です。

  冴えかえる春の寒さに降る雨も、暮れていつしか雪となり、上野の鐘の音もこおる細き流れの幾曲がり、末は田川へ入谷村。

 ト本釣鐘を打ち込み、合方にて花道より、以前の直次郎頬冠りにて出て来て、花道へとまる。

廓へ近き畦道も右か左か白妙に、往来(ゆきき)のなきを幸いに、人目を忍びたゝずみて、

 トやはり本釣鐘、直次郎後先を見廻し、

直次 思いがけなく丈賀に出会い、頼んでやったさっきの手紙、もう三千歳へ届いた時分、門のしまりがあけてあるか、そっと門(かど)から当たって見よう。(365頁)
   
そして三千歳との色模様…。

何度観たでしょうか、市川團十郎と尾上菊五郎の直次郎、甲乙つけがたい名舞台が思い浮かびます。

清元志寿太夫を聞くことができたことも、とても幸せなことでした。


   
お読みいただきありがとうございました。

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(2018(平成30)年7月17日)
 
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