歌舞伎の舞台名所を歩く

  お七吉三郎比翼塚
『松竹梅湯島掛額』 ほか


 (1)

まず八百屋お七についてです。

  浄瑠璃、歌舞伎のヒロインとして有名な江戸時代の女性。江戸本郷追分の八百屋太郎兵衛の娘という。

1682年(天和2)12月28日、駒込・大円寺から出火、東は下谷、浅草、本所を焼き、南は本郷、神田、日本橋に及び、大名屋敷75、旗本屋敷166、寺社95を焼失、焼死者3500名という大火があった。

その際、家を焼かれ、駒込正仙寺(一説に円乗寺)に避難したお七は寺小姓の生田庄之助(一説に左兵衛)と恋仲となった。家に戻ったのちも庄之助恋しさのあまり、火事があれば会えると思い込み、翌年3月2日夜放火したがすぐ消し止められ、捕らえれれて引回しのうえ、3月29日鈴ヶ森の刑場で火刑に処せられたというのが実説である。(『日本架空・伝承人名事典』 平凡社, 1986)


この八百屋お七の話は、さまざまに脚色されました。

その中で、吉祥院が舞台になっている芝居が二つはあります。

その一つ、『松竹梅湯島掛額』(しょうちくばい ゆしまのかけがく)の序幕は、「吉祥院お土砂の場」です。

「お土砂」とは、土砂を洗って、真言宗の秘法で祈祷したもので、これを硬直した死体にふりかけると柔らかくなる不思議な粉です。このお土砂が、観客を大いに笑わせます(このことからこの芝居の通称は「お土砂」)。

この場に八百屋お七と小姓吉三郎が登場します。 
 

北尾重政「小姓吉三郎 坂東彦三郎 八百屋お七 瀬川菊之丞」
「ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信」(あべのハルカス美術館ほか, 2017-18)図録より

次の場は「四ツ木戸火の見櫓の場」、木戸は既に閉められていています。火の見櫓の太鼓を打つと木戸は開きますが、みだりに打ったものは死罪と決まっています。お七は吉三郎を助けるために、櫓に登り撥(ばし)を手にとって、必死に打ち鳴らすのでした。 歌舞伎美にあふれる名場面です。

  降りしきる あとに お七は心も空 二十三夜の月の出の内と からだは此処に 魂はよそのなげきと白雪の さえゆく遠寺の鐘こゝと響き渡れば やゝあの鐘は早や九つ たとえ刀は手に入っても 今宵中に届けねば 吉三さんはやっぱり御切腹 こりゃまあどうしょうかいなしやと立ったり見たり気もそぞろ よその見る目もあわれなり おゝそれよ何はともあれ 吉三さんにお目に掛らんそうじゃそうじゃとかけ出せしがいやいやいや

最早や木戸を打つたれば 知らずにも 知らされず えゝ羽がほしい 翼がほしい 飛んで行きたい知らせたい あいたい 見たいとつまごいの 千々に乱るゝ憂き思い かっとふして泣きいたる
                 (中略)

雪は凍りて降りすべる

はしごはもとより劔の山 昇る心は三悪道 お七は難なく火見の上 ばちおっ取って打つ太鼓 この身は三途のおにがわら後のうわさと

 (『歌舞伎名作舞踊』(演劇界増刊号, 平成3)212-13頁)

 
三代歌川豊国(国貞)「見立三十六句選 八百屋於七」 安政3(1856)年

「図は四代目市川小団次が、人形風に演じる「人形振り」でお七を務め、大好評だった舞台である。」(渡邊晃『江戸の悪』府中市美術館編(青幻舎, 2016)208-209頁より)


 
もう一つは、河竹黙阿弥作『三人吉三廓初買』(さんにんきちさ くるわのはつがい)、通称「三人吉三」。この四幕目は「巣鴨在吉祥院の場」と設定されています。

お嬢吉三・お坊吉三・お尚吉三(吉三は「キチザ」ではなく、「キチサ」と読みます)が、悪事が発覚して追われる三人がここで再会します。

この芝居の大切は「本郷火之見櫓の場」で、お嬢吉三は振袖姿を振り乱して櫓にかけのぼり、太鼓を打ちならします。この芝居にお七と吉三郎は登場しませんが、明らかに八百屋お七のパロディであることがわかります。


(2)

歌舞伎の「吉祥院」(きっしょういん)は、「吉祥寺」(きちじょうじ)のことで、このお寺の境内に「お七吉三郎比翼塚」があります。




東京メトロ南北線「駒込」駅から、ゆっくり歩いても10分ほどで着きます。





門をくぐって進むと、何か大きな記念碑の向こうに、お七吉三郎の比翼塚が見えます。








真っすぐ進むと本堂で、手を合わせます。



境内を回ってみます。


 釈迦如来坐像




 二宮尊徳とお墓

他にも、榎本武揚や小説家・川上眉山のお墓などが点在します。

   

門を出ようとすると、左右に入る時には気がつかなかった練塀が目に入ります。




 
(3)

『松竹梅湯島掛額』の初演は安政3(1856)年、江戸・市村座。

この芝居は、文化6(1809)年江戸・森田座で初演された福森久助作『其往昔恋江戸染』(そのむかし こいのえどぞめ)と、安永2(1773)年に人形浄瑠璃で初演された『伊達娘恋緋鹿子』(だてむすめ こいのひがのこ)の「火の見櫓の場」を黙阿弥がつなぎ合わせて作った作品。


国立劇場では、昭和61(1986)年1月に『松竹梅雪曙』(しょうちくばい ゆきのあけぼの)の外題で上演されました(第135回公演)。配役は、紅屋長兵衛・2代目尾上松緑、八百屋お七・坂東玉三郎、寺小姓吉三郎・中村時蔵(5代目)。


松竹梅湯島掛額』は、2009年9月「歌舞伎座さよなら公演九月大歌舞伎」夜の部で上演されています。 配役は、紅屋長兵衛・中村吉右衛門、八百屋お七・中村福助、小姓吉三郎・中村錦之助、釜屋武兵衛・中村歌六。


歌舞伎座絵看板 鳥居清光画


「火の見櫓の場」一幕の場合は、『伊達娘恋緋鹿子』(通称「櫓のお七」)として上演されるようです。

特筆すべきは、昭和53(1978)年11月「歌舞伎座開場九十年記念顔見世大歌舞伎」で、八百屋娘お七を坂東玉三郎が演じた舞台(藤間勘十郎振付)。玉三郎が、人形ぶりを取り入れて、絵のように美しいお七を見せました。玉三郎が初めて演じた舞台だったかも知れません。

釜屋武兵衛・2代目坂東弥五郎、下女お杉・3代目坂東田門、また人形遣いを7代目中村四郎五郎、4代目中村助五郎(後に2代目中村源左衞門)、4代目坂東太郎が勤めたことも記しておきたいと思います。ぼくの好きな名脇役ばかりでしたから。

♣ 

三人吉三廓初買』の初演は安政7 (1860)年、江戸・市村座。


昭和47(1972)年1月、国立劇場で4幕9場の通し狂言として初演され(第47回歌舞伎公演)、その後も何度か再演されています。

歌舞伎座や他の劇場の舞台にもかかっていますが、初めて観たこの舞台が一番でした。脇も充実していたこの時の配役です。
    
    和尚吉三=2代目尾上松緑
    お嬢吉三=7代目尾上梅幸
    お坊吉三=17代目市村羽左衛門
    手代十三郎=3代目河原崎 権十郎
    おとせ=7代目市川門之助
    八百屋久兵衛=2代目助高屋小伝次
    釜屋武兵衛=利根川金十郎
    堂守源次坊=10代目岩井半四郎
    土左衛門伝吉=8代目坂東三津五郎


 
   
お読みいただきありがとうございました。

 お七は鈴ヶ森で処刑され、お墓は円乗寺にあります。こちらもどうぞご覧ください。

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(2018(平成30)年11月5日)

 
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