歌舞伎の舞台名所を歩く

 一条戻橋
 (『戻橋』)
 
 
 (1)

 歌舞伎舞踊『戻橋』「一条戻橋の場」、大薩摩です。

使いに立ちし渡辺の、源次綱が一条の、大宮よりも帰り路も、卯の花咲いて白々と、月照り渡る堀川の、早瀬の流れ落ち合うて、水音凄き戻橋、綱は郎党引き連れて橋の袂へ歩み来て、

そこへ一人の女性が現れて、

妖女 
卯月の空も定めなく、又雲立ちし雨催い、降らぬうちにと思えども、こゝは一条の戻橋、見れば行きかう人もなく

心細いので、綱にお供をさせてくれるように頼みます。承知する綱。妖女は送ってくれるお礼にと、舞います。京の四季を詠み込んだ美しい詞章です。 
 
 
  空も霞みて八重一重、桜狩する諸人が、むれつゝ爰(ここ)へ清水や、初瀬の山に雪と見し、花も散り行く嵐山、惜しむ別れの春過ぎて、夏の初めに遅れてし、花も青葉に衣更、峰の緑の美しや。
(『名作歌舞伎全集』第18巻、337-39頁)
   
   
(2) 
   
一条戻橋へは、京都市営地下鉄「二条城前」で下車、バスもありますが、堀川通りを北へ歩きます。



20分も歩いたでしょうか、橋の右手に「一条」、進むと「戻橋」の文字が見えます。 





「戻橋」の由来を書いた説明板です。



橋の下に降りる階段が目に入りましたので、降りてみます。



ここにはより詳しい写真入りの説明板があります。
 
  


戻橋を詠んだ川柳があります。

   蘇生せしまでは一条に名なし橋

また婚礼の輿入(こしいれ)の時は、この橋を通らないのは、「戻り」が忌み言葉だからで、こんなのも。

   戻り橋婚礼の夜は廻り道


(岡田甫『絵入 川柳京都めぐり』(有光書房, 昭和48年)16-17頁)


こんな小さな新しい橋からは想像もつかない歴史と伝説が秘められているのは面白い、などと思いながら、通りの反対側に渡って100メートルほど行くと、晴明神社があります。



鳥居を通るとすぐ左にかわいい「一条戻橋」があります。

  

渡って振り返ります。
 
  

ここに一条戻橋があるのは安倍晴明と関係があるためなのが次の説明文からも分かります。

  


  
(3)
   
常磐津の舞踊劇『戻橋』の初演は明治23(1890)年10月の歌舞伎座。作詞は河竹黙阿弥。尾上菊五郎の家の芸「新古演劇十種」の一つに選ばれています。

国立劇場では、平成16(2004)年1月に上演されました。 

(会報「あぜくら」より)

ちなみに、戻橋は通し狂言の一場としても出てきます。国立劇場の公演から拾ってみます。

1996(平成8)年10月、『四天王楓江戸粧(してんのうもみじのえどぐま)』の五建目第一場「一條戻橋の場

2009.10(平成21)10月、『京乱噂鉤爪(きょうをみだすうわさのかぎづめ)』の第一幕第四場「一条戻橋

2011(平成23)年1月、『四天王御江戸鏑(してんのうおえどのかぶらや)』 の二幕目
一条戻橋の場
   
歌舞伎の「場」(scene)になる橋といえば、すぐに永代橋・花水橋などが思い浮かびますが、舞踊の題になっているのはこの戻橋だけでしょうか。
           
 
関連で次もご覧ください。

 羅生門
 渡辺綱を歩く


 
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 (2018(平成30)年4月20日)
 
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