歌舞伎の舞台名所を歩く

  羅生門跡
『茨木』


 (1)

『茨木』「渡辺綱屋敷の場」、幕開きの長唄の一節です。

何処(いずく)に鬼の住けるか、夜な夜な東寺の羅生門へ顕れ出て害なせるを、頼光朝臣(あそん)の四天王渡辺の源次綱、鬼神の腕を切り取りて、武名を天下に輝かせり。
 (『名作歌舞伎全集』第18巻、322頁)

そこへ茨木童子は、切り落とされた片腕を取り返しに、伯母真柴に化けてやって来ます。
 
真柴 久しゅうまみえざりしゆえ、懐かしさに参りたり。して和殿には何ゆえありて、斎をいたしゃるぞ。

  御聞き及びもありつらん。このほど東寺の羅生門にて、某(それがし)鬼神の腕を切り取り、比類なき手柄をなし、主人の御感にあずかりしが、陰陽の博士安倍の清明、かかる悪鬼は七日のうちに、かならず祟りをなすものなり。

真柴 むゝ。(トぎっくり思入れ)

   仁王経を読誦なし、斎せよと教えにより、身を慎みて門戸を閉じ人の出入りを止めて候。 (同上、326頁)

そんな理由で、叔母と云えども館に入れるのを一度は拒んだ綱でしたが、「情けなき者」「無慈悲」と言われて、抗しきれず門を開けたのでした。

そして真柴に「その夜の次第を語り聞かせてくりゃれ」と懇願された綱は、

   さてもこの程御前に於て、九条東寺の羅生門に夜な夜な鬼を出るを恐れ、行交う者のあらざるよし、これを御内に見届くる者はなきやと保昌が、申せし詞(ことば)の争いより、某見届け証(しるし)を建てんと、(同上、326頁)

と、その時の様子を語り、乞われるまま櫃に入った腕を見せます。それを見た伯母は突然櫃の中の腕を掴んで取り出し、櫃を蹴飛ばします。劇的緊張の高まる名場面です。

正体を現した茨木童子、綱と対峙します。
 
  茨木 いかに、渡辺源次綱、過ぎし夜(よ)東寺の羅生門にて、兜の錣(しころ)を引き切りし、我こそ茨木童子なり。

   さては世上で噂ある、茨木童子でありしよな。(ト鼓唄になり)

  我が通力にて津の国の叔母に姿に身を変じ、

茨木 汝に切られし腕をば、取り返さんそのために、

  これまで来ると知らざるや。

   正(まさ)しき叔母と思いしゆえ、秘蔵なしたる腕をば、見せしは綱が誤りなり、いでや汝を討ち取らん。(同上、332頁)
 
討ち取ろうとしますが、茨城童子は瞬時に虚空にあり、
 
  如何(いか)にがなして討ち取るべしと、思えど黒雲立ち覆い、鬼神の姿は消え失せにけり。

 
(2)

羅城門跡のマップを見ます。




近鉄奈良線「東寺」駅で下車して、九条通りを東寺に向かって歩き、



長い塀を見ながら進むと、南大門があります。



すこし行くと「羅城門前」のバス停、そして右に見えるのは「矢取地蔵堂」と説明板にあります。



地蔵堂に気を取られると見逃しそうですが、手前に「羅城門跡」の案内があり、



右手に入ると、公園で、滑り台の前に「羅城門遺址」の石碑が立っています。 裏面に明治28(1895)年3月建立とあります。



「源氏物語ゆかりの地」でもあるとのことですが、羅城門跡の説明板があります。





また、羅城門の想像図も描かれています。



これを見て黒澤明監督の『羅生門』(1950(昭和25)年公開)を思い出します。このモノクロの映画は、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞し、黒澤明と日本映画が世界で注目されるきっかけとなったのでした。

ちなみに、和歌山の清酒に「羅生門」があります。この名は蔵元の何代目かが、戦後の苦しい時に『羅生門』を見て感動し、この映画のように世界で評価されるような日本酒を目指して生まれたとのことです。
   

反対側の入口から、この小さな公園を見てみます。この公園には「唐橋羅城門公園」と由緒ある名がついていて、なんとなく嬉しくなります。



歴史が刻まれていて、文学的な連想を伴うこの小さな公園のベンチに座り、しばし歌舞伎の名舞台を思い出しながら想像を膨らませました。
 
   
(3)

新古演劇十種『茨木』の初演は、明治16(1883)年の新富座。

長唄は名曲です。

昭和期には、茨木は6代目中村歌右衛門・七代目尾上梅幸、綱は2代目尾上松録・8代目松本幸四郎らが当たり役とし、しばしば演じましたが、最近では平成28(2016)年1月、歌舞伎座での坂東玉三郎の茨木も名舞台でした。


関連で次もご覧ください。
 一条戻橋
 渡辺綱を歩く

   
お読みいただきありがとうございました。

  「歌舞伎の舞台名所を歩くHOME
(2018(平成30)年3月24日)
 
inserted by FC2 system