歌舞伎の舞台名所を歩く

  小栗栖と明智藪
『小栗栖の長兵衛』


 (1)

岡本綺堂に『小栗栖の長兵衛』(おぐるすのちょうべい)という外題の一幕の芝居があります。小栗栖村で「蝮(まむし)」と異名をとる百姓の長兵衛が主人公です。父親に勘当されると、親に無礼をはたらき、皆に捕らえられ縛りあげられてしまいます。

そこへ羽柴秀吉の家臣が槍を持って登場します。

吉春 その方共も大方は存じて居ろうが、きのうの山崎の合戦に謀叛人の明智方は総崩れと相成って、大将の日向守光秀は夜にまぎれて勝竜寺の城を立ち退き、主従二三にて落ち行く途中、この小栗栖の村はずれの藪ぎわにて不意に槍をつけたる者あり。

一同 おお。

吉春 槍は脇腹に透りしかど、さすがは光秀、すぐに太刀をぬいてその槍の穂先を切って捨て、そのままに馬を急がせたれど、急所の痛手にたまり得ず、二三町も駆けぬけて、遂にその場で落馬いたした。

与茂作 では、光秀はその竹槍で……。

吉春 むむ、とても助からぬと覚悟して、光秀は遂に切腹、その亡骸のほとりに落ちてありしは、血に染みたるこの穂先じゃ。竹槍にて突きたるはまさしく武士の仕業でない。ここらの村の百姓どもの猪突き槍と見て取って、さてこそわざわざ詮議にまいったが、どうでも心当たりはないか。
 (『名作歌舞伎全集』第25巻, p. 124)

すると長兵衛が「ゆうべ明智光秀を竹槍で突いたのはわたしくしでござります」と名乗り出ます。竹槍の柄と穂先を繋ぎ合わせると、ぴたりと一致して、間違いないことがわかります。

一度は勘当した父親でしたが、喜びも一入(ひとしお)、「八幡さまの氏子からお前のような偉いお人が出るという、こんなおめでたいことはござりませぬ」という者もあります。

鼻つまみ者だった長兵衛は、忽ち村の英雄に祭り上げられることになるという新歌舞伎の喜劇です。
   
『小栗栖の長兵衛』の大正9(1920)年の明治座、2代目市川猿之助(後の初代猿翁)によって初演されました。ぼくは一度、1976(昭和51)年 7月、歌舞伎座で4代目市川段四郎の舞台を観たくらいでしょうか。その後もごくたまにしか上演されていないようです。


 
(2)明智藪

では、京都の郊外・小栗栖に、この芝居所縁の場所を訪ねてみます。

明智光秀が坂本城に向かう途中、あえなく最期をとげた場所が「明智藪」とされます。地下鉄の「醍醐」駅で下車、徒歩20分くらいのところにあります。


















(3)小栗栖八幡宮

「八幡さま」と出る小栗栖八幡宮も近くにあります。


  
 













   


お読みいただきありがとうございました。

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(2019(平成31)年3月27日撮影)
 
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