歌舞伎の舞台名所を歩く |
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『時今也桔梗旗揚』 |
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勝諺蔵(四代目鶴屋南北)作『時今也桔梗旗揚』(ときはいま ききょうのはたあげ)、通称「馬盥(ばだらい)の光秀」の「本能寺の場」については、現在中京区下本能寺前町にある本能寺をご覧ください。本能寺の変当時は別の場所にありました。 蛸薬師通りと小川町通りが交差する角に小さな石碑が建っています。「此附近 本能寺址」とあります。 蛸薬師通りを進むと、この場所が何かわかります。 この通りを左に曲がり、油小路通りに入ります。 角の大きなビルの中ほどにも石碑が見えます。平成になって建てられた新しい本能寺跡の石碑です。 |
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当時本能寺はこの辺り一帯に広大な寺地を占めていて、塔頭もたくさんあったと思われます。 |
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余談ですが、本能寺について川柳があります。その中からいくつかを拾ってみます。 本能寺の変について、 本能寺窮鼠(きゅうそ)却(かえ)ってとんだこと 本能寺根耳にときの声がする 信長が寺に火を放って、あえなく自刃したことについて、 城ならで寺を枕に不覚なり 惜しいこと信長妻戸(つまど)ぐるみ焼け 残念さ本能寺での身の終り (岡田甫『絵入 川柳京都めぐり』(有光書房, 1973)23-24頁より) なお明智光秀については次もご覧ください。 小栗栖と明智藪 坂本城址 |
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(2019(平成31)年3月27日撮影) |
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