歌舞伎の舞台名所を歩く

  坂本城址
明智光秀の城



 (1)

近松半二ほか合作による『近江源氏先陣館』(おおみげんじ せんじんやかた)、現在上演されるのは八段目の「盛綱陣屋」だけですが、豊臣家滅亡の悲劇を鎌倉時代に置きかえられ、佐々木盛綱と高綱の兄弟は、時政方・頼家方と敵味方に分れて戦っています(史実では盛綱は真田信幸、高綱は幸村)。

源頼家とその母君宇治の方を守って、佐々木高綱ら京都方が立てこもったのは比叡をバックにした坂本城。これを攻め落とそうと、石山と比良に陣所を構える鎌倉方。石山には総大将北条時政、そして比良の陣屋を固めるのが佐々木盛綱だった。
(『歌舞伎と京都』京都新聞社, 1975年刊、167頁)

ただ坂本城は明智光秀の城として記録、記憶されています。光秀が登場するのは鶴屋南北の『時今也桔梗旗揚』(ときはいま ききょうのはたあげ)、通称「馬盥(ばだらい)の光秀」です。


歌川豊国(三代)「木曽六十九驛 中津川 坂本 武智光秀」
中山道広重美術館蔵
(『木曽路の名所・図会』図録 中山道広重美術館, 2001年)


(2)

京阪電車「松の馬場」駅で下車、琵琶湖の方に向かって歩きます。途中で道を聞いて15分ほど歩いたでしょうか、「坂本城址」の石碑があるところに着きます。






この石碑の裏を見ると、「大正4年11月建立」とあります。

突き当りにお寺があるので行っています。東南寺とわかりますが、山号がありません。



ここを右に行くと、国道161号線に出ます。少し進むと、左に公園のようなところがあり、
近づくと大きな石碑が目に入ります。



この辺り一帯が坂本城のあった場所で、説明板があります。




奥に進むとすぐ琵琶湖で、左手に光秀の像や石碑が建っています。




光秀に関連して、次もご覧ください。いづれも京都の史跡です。
  本能寺
本能寺址
小栗栖と明智塚
 


ご覧いただきありがとうございました。

  「歌舞伎の舞台名所を歩くHOME 
(2017年11月13日撮影)

 
inserted by FC2 system